話題になっている学習院大学の謝辞

 みなさんこんにちは!コロナウイルスの影響で、全国の大学の卒業式が短縮や中止となったみたいです。

 今回は今話題になっている学習院大学卒業生の謝辞について、自分が思うことを書いていきたいと思います。

 話題になっている挨拶は以下の通りです。


 卒業生総代答辞の多くが、ありきたりな言葉の羅列に過ぎない。大きな期待と少しの不安で入学し、4年間の勉強、大学への感謝、そして支えてきてくれた皆さまへの感謝が述べられている定型文。しかし、それは本当にその人の言葉なのか。皆が皆、同じ経験をして、同じように感じるならば、わざわざ言葉で表現する必要はない。見事な定型文と美辞麗句の裏側にあるのは完全な思考停止だ。
 私は自分のために大学で勉強した。経済的に自立できない女性は、精神的にも自立できない。そんな人生を私は心底嫌い、金と自由を得るために勉強してきた。そう考えると大学生活で最も感謝するべきは自分である
 すべての年度での成績優秀者、学習院でもっとも名誉である賞の安倍能成記念基金奨学金、学生の提言の優秀賞、卒業論文の最優秀賞などの素晴らしい学績を獲得した自分に最も感謝している。支えてくれた人もいるが、残念ながら私のことを大学に対して批判的な態度であると揶揄する人もいた。しかし、私は素晴らしい学績を収めたので「おかしい」ことを口にする権利があった。大した仕事もせずに、自分の権利ばかり主張する人間とは違う。
 もし、ありきたりな「皆さまへの感謝」が述べられて喜ぶような組織であれば、そこには進化や発展はない。それは眠った世界だ。新しいことをしようとすれば無能な人ほど反対する。なぜなら、新しいことは自分の無能さを露呈するからである。そのような人たちの自主規制は今にはじまったことではない。永遠にやっていればいい。
 私たちには言論の自由がある。民主主義のもとで言論抑制は行われてはならない。大学で自分が努力してきたと言えるならば、卒業生が謝辞を述べるべきは自分自身である。感謝を述べるべき皆さまなんてどこにもいない

https://www.univ.gakushuin.ac.jp/iss/news/20200320-1.htmlより引用

さて、私が読んで思ったのが以下の点になります。

 

①自立するのにはやっぱり周りの人がいたからこそ

 自立するためには親、先生、周りの人の色々な助けが必要不可欠です。大学は義務教育ではないので、やはり学費や生活費を援助してくれた人に感謝の気持ちを持ったほうが良いのでは?と感じました。

 

②大学で勉強させてもらえるのはあたりまえのことではない

 自分の育ってきた学校は、田舎でしたので高校を卒業して就職する人もたくさんいました。国公立大学に通っていてもかなりの額のお金がかかります。学習院大学は東京にあり、私立大学ということでもっとお金がかかっていることでしょう。

 

③卒業式の代表であることを意識していない

 「卒業生が謝辞を述べるべきは自分自身である。感謝を述べるべきは皆さまなんてどこにもいない」と個人が考えるのは勝手ですが、他の卒業性がそう思っているかどうかを考えるべきだったと思います。

 

 みなさんはどうお考えでしょうか?少し辛口になってしまいましたが、自分の考えを書いてみました。