わたしと桂ヒナギク610 四半期に1回ライバルが増えていくヒロインレースの中でヒナギクを前面に押し出す。

こんばんは 私生活の方が年度末に近づいていきとてつもなくやばくなってきています。ちなみに来週出張です。この年度末に出張に行かせるアホ会社に嫌気がさすのですが、移動中にひたすら読書、ブログ作成をしましょうかね・・・

 

さて、現在TVアニメ「BanG Dream! Ave Mujica」にはまっているオタクですが、四半期に1回、数多のアニメヒロインが登場するというレッドオーシャンに私は立ち向かわないといけません。

桂ヒナギクが令和でも通用 いな令和でこそヒロインの在り方を証明するヒロインだと俺は勝手に思っているからです。

心が萌える感情を必死におさえつつそれでもヒナギクを選択する。
いな素晴らしいヒロインが出現してこそあらためて自分の中のヒナギクという存在を確信するのです。

 

あれ? これってもはや「プロテスタンティズムと資本主義の精神」で著述されていた「予定説」の概念に似てない??

ざっくり説明すると予定説で人の行く末はあらかじめ決められているのかもしれないのになぜ人は勤勉に働くのか? それは自分が選ばれた人間だと確信するために勤勉に働くというのが下記の本の要約と僕は解釈しています。

 

ja.wikipedia.org

ヒナギクも一緒 時代が経つにつれてヒナギクという存在が至高か否かは神のみぞ知るところである。しかし、これを証明するために勤勉にヒナギクへの愛を語り続けるというのがヒナギクを最高のヒロインだと確信する唯一の方法であるのだろと

 

神は言っている。ヒナギクの魅力を伝え続けよと