知っておくと得する会計知識227 南満州鉄道株式会社の社長があの松岡洋右だった時代がある

お疲れ様です。暑いとにかく暑い

また仕事で疲労がたまっていたため、正午あたりまで眠っておりました。

 

さて本日のテーマは南満州鉄道株式会社と松岡洋右について

日本の経済および歴史の面が絡む非常におもしろいテーマだと私は感じております。

まず予備知識から抑えましょう。

 

南満州鉄道株式会社とは、日露戦争に勝利した後、ポーツマス条約に基づき、長春・旅順の鉄道事業および付属事業を経営する目的で1906年に設立された半官半民企業、日本の満洲経略における重要拠点でした。略称は満鉄(まんてつ)。以後満鉄と書きます。

ja.wikipedia.org より引用および修正

 

松岡洋右は、要点を抜粋すると以下の通りです。

 

3歳で渡米しオレゴン州立大学を卒業。帰国後外交官となり、中国、ロシア、アメリカなどに勤務。1921年に満鉄理事、1927年に副総裁となる。

国際連盟総会に主席全権で派遣され、8年満洲国への決議案に反対して退場、連盟脱退する。

③10年満鉄総裁に就任。第2次近衛内閣の外相となり、15年に日独伊三国同盟、16年日ソ中立条約を締結。戦後、A級戦犯に指名されたが判決前に病死した。

 

www.ndl.go.jp より引用および修正

国際連盟脱退、日独伊三国同盟締結など近衛文麿と並んで日本のやらかし筆頭と言われますが歴史や背景を知るとそこまでの無能ではなかったと感じています。性格は自己顕示欲が強かったみたいですが・・

 

このプロフィールにも記載されている通り満鉄の総裁(社長)だった時期もあります。

満州史は日本の歴史の中で植民地政策が実施された負の象徴的存在です。

満鉄は半官半民企業ですから経営的なセンスと政治的なセンスの両方が求められるものでした。またソ連との国境を巡る争いや当然現地に住んでいた中国の方々からの反発もありました。

イギリスやフランスなども植民地政策は現地国民から猛烈な反発をまねき現代にもその禍根を残しています。

 

私が思うのは侵略戦争はよくないということにつきます。現地の人達は良い思いはしないのが人間として当然だと思います。私たちも先人の過ちを学ばなければなりませんね・・・