セーラー服にスクール水着って・・・・ 天才の発想ですね
セーラー服は清潔感を表現する服装にたいして沸き立つ性欲を喚起させるスクール水着
この発想は掛け算ですね 掛け算
この清潔感の万悦感に浸りつつ、こう汚したくなるような水着
え?何で汚すかって? そりゃ~あれよあれ
白いセーラー服をもっと白く漂白します。
私も痴漢界隈の仲間入りです。
でもねこの格好はヒナギクでないとダメなのです。
ヒナギクという真っ白な存在をこれ以上かと思うぐらい白濁で汚すのが芸術なのです。
何を言っているんだこいつはと思うかもしれませんが、
純〇を奪うといいますか きれいなものを汚すって興奮しませんか?
三島由紀夫の金閣寺で海軍青年将校の短刀に傷を入れるシーンがありますがあの文学性と同じです。
海軍機関学校に行った先輩が持っていた美しい短剣の鞘に醜い傷をつけたこともあった。
この金閣寺という小説嫌いの私がうなるほどの名作なのでぜひ読んでください。
というか人生で一番心に残っている小説です。
日本海へ突き出た成生岬の辺鄙な貧しい寺に生まれた溝口(「私」)は、僧侶である父から、金閣ほど美しいものはこの世にないと聞かされて育った。父から繰り返し聞く金閣寺の話は、常に完璧な美としての金閣であり、溝口は金閣を夢想しながら地上最高の美として思い描いていた。
ヒナギクほど美しいものはないというのは事実です。漫画史上最高の美というのもそう。しかし、その美しいものを壊したい衝動ってありませんか?
この小説の主人公溝口は、最後金額寺を燃やすのです。
この壊すということに美学を感じるのはナルトのデイダラも同じでしたね。
ヒナギクという存在を汚したくないのだけど汚したい。
人間という生き物はめんどくさいです。
ヒナギクという存在は芸術です。その芸術を自分の手で触れたい 壊したい 汚したい
こういう気持ちって少しはありませんか?
私は正直あります。歪んでますかね・・・・